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湖北省 (汪兆銘政権) : ウィキペディア日本語版 | 湖北省 (汪兆銘政権)[こほく-しょう]
湖北省(こほく-しょう)は汪兆銘政権に存在した省。 ==沿革== 1940年(民国29年)10月3日、汪兆銘政権の中央政治委員会第22次会議により武昌に湖北省政府を設置することが決定し、下部に武昌、鄂城、嘉魚、蒲圻、咸寧、大治、陽新、漢陽、漢川、黄陂、黄岡、水、蘄春、広済、応城、鍾祥、京山、潜江、天門、荊門、当陽、宜昌、監利、江陵、鄂北、鄂南、応山、雲夢、崇陽、通山、麻城、随県、安陸、岳陽、臨湘、信陽の39県及び礼山、宜都、枝江、通城の4県の一部を管轄した。 同会議により漢口を院轄市と定めたが、1943年(民国32年)10月19日の行政院代183次会議により省轄市に改編され、湖北省の管轄とされた。
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